足柄地域の暮らしと環境を考える会

南足柄市の自然条件を活かした循環型社会を模索する事を目的として活動している会のブログです。

足柄地域の暮らしと環境を考える会会報105号 2017年9月8日

 

南足柄市小田原市・2市合併」について考える その3

 人口約4万人、小さい町の良さ! でも、それは活かされているだろうか?

 任意協議会を傍聴して、南足柄市が余りにおとなしく小田原市に呑み込まれそうなので、黙っていられなくて、会報103号、104号で警告を発した当会でしたが、この警告用会報をどのように使うか、相談しました。「ほとんど何も知らされてない市民に配ってもわからないのでは?」、「まず協議会委員に届けて考えて貰うべきでは?」、「では、委員にどうやって届ける?」

 「市長なら市役所は近いし、〇〇議員はすぐ近くだから、行って話したら?」

 それくらい近い所に、南足柄市では行政があったのです。だから自然保護グループとして当会は、山林の問題やゴミ・残土の不法投棄などについて、産業振興課、管財課、環境課とは、直接話し合ってきたし、協力関係にあったつもりでした。

  しかし、一方で、市当局は、以前から市民の声を聞く耳を持たなかった!

  2007年に「南箱道路を考える市民懇談会」に委員を出すことを求められた時には、当会は9回の会議に精勤し、現地を良く知る立場で懸念を述べましたが、「先に結論あり」で押し通されました。その会議の記事は一切、市の広報に載りませんでした。

 また、岩手の漁網受け入れの時も、当会の要望書には碌な回答もなく、秘密裏に手続きが続けられ、厳重な警戒の下、産廃の漁網は雨坪の市営の一般ごみ処分場に埋められてしまいました。この時「南足柄市自治基本条例」の存在を知ったのですが、それは文言だけの「絵に描いた餅」で、実際は、南足柄市は 住民自治を理解してない、近くて、遠い行政だった?

  そうして 今回は、南足柄市を消滅させる2市合併のリストラ!

 「リストラ」と「新市まちづくり」は「廃止」して、市民生活のこれからを考えよう! 

  合併してしまったら、異議を唱えたくても、本庁舎は遠くて簡単には行けない!それに市議さんの数が減って広域に分散されたら、以前のようにお宅回りの陳情も出来ません。ただでさえ弱い住民自治が萎み、住民の生の声が届かなくなるでしょう。一方で、小さい町ならではの災害時の対応や、訪問看護(公立病院のない南足柄市で、自宅看護のため作られた独自事業)などの、住民の知恵と努力で作られた事業が廃止の対象に挙がっています。それらは、長年の経験を積んで、当市の事情に合った仕様に育っているはずです。異常気象で予測不能の事態が増え、年々福祉が削られる昨今、これらを維持して育てることこそ、優先されるべきではないでしょうか。

  任意協議会発行のパンフ・「中心市のあり方に関する協議結果」 への感想

  配られた「市民周知用パンフ」についての感想を一つ紹介します。次には例会で、皆で話合いましょう!

 お金の話ばかりで、建設的な「町の未来像」がない!  

 財政難と言いながら、今まで市は、どんな解決努力をしてきたのか?

 市庁舎の電力消費を「電力自由化」を利用して安くすることなど、考えられたのか?

 この町では、水路に水が勢いよく流れていて、水力発電でもしないと勿体無い!

 ({再生可能エネルギー利用の循環型社会へ転換}が今や最先端! ボチボチその方向を考えられる当市は恵まれています! 国も県も市も借金だらけ。本気で子や孫の未来を考えたら、生命と、その源の水や緑こそが大事!)

 

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 秋田で、木の炭粉を撒いた畑で、作ったスイカ、美味しかった!大森さん 有難う!

 昨年は弘西寺の竹林を伐って、ドラム缶の窯で竹炭を焼きました。竹林の荒れた様子を見て、手入れの指導を申し出てくれたのは、秋田県から小田原市森林組合に勤めて30年の大森良一さん。2015年のことでした。

 しかし、個人的な事情で秋田に戻らねばならなくなり、私たちは我流で竹林の手入れをすることになりました。竹を伐るのは簡単だけれど、その始末に困りドラム缶窯で竹炭を焼くことにして、その竹炭の利用法を会報に取り上げ、それを大森さんへの便りにしました。彼からの返事には「こっちでは薪ストーブで暮らしていて、

 その消し炭を畑に撒いてスイカを作ったら送る」と。そして本当に先日直径25cm程のスイカ2個が届いたのです。こちらは暑い最中。仲間8人で分けて、いただきました。届いたスイカは冷たくて、もう朝夕は寒いという秋田の木と水の恵みを感じた事でした。

 大森さんは、なぜ弘西寺の竹林の手入れを申し出たのか? 対抗する訳ではないけれど、小田原市森林組合に勤めながらも、小田原市より南足柄市の農的自然と住民に親近感を持たれ、此処で作業していれば、近くの人達が関心を持って寄って来てくれそう、そうしたら「仲間になって、30年の技の一部でも伝えたい」と言った気持が見えました。林業作業は危険を伴い年季のいる作業。その癖、安値でやらざるを得ない作業!その苦労を評価し、そのままでなくても、山や木を大事にする心を受け継ぎ、地元の山地をいつまでも県に任せずに、地元で管理することを、当会は大森さんと共に、南足柄市に求めていきたい!昔の入会地の山林は、市の大事な宝。やがては、これこそ価値がある、という日が来るのではないでしょうか。

(大森さんご本人が書かれた文章が、「小田原山盛の会」の川島範子さんから、昔、貰ったコピーの中に見つかりましたので、かなり昔のものですが、大森さんの「自己紹介」として、次に転載させて頂きます。)

 

東北(トウホグ)の山オヤジのつぶやき

大森良一(小田原森林組合、50歳…15~20年程前?)

 娘達の言うに私は「山オヤジ」だそうで、イメージからいっても「山男」より数段落ちるのだそうです。いかにも的を射ていると思います。「あんまりエラグ(偉く)なれば百姓シネぐなる」と言う事で程々に学校を卒業し、田舎で百姓の傍ら町の工事現場で手間(給料)取りをしていたのが、電化製品やら農業機械の大型化・自分の趣味と出費が多くなるにつれ、とうとう東京方面へ出稼ぎという自分の「型」が出来てしまったのです。

 こちらにお世話になり始めて10年近くなります。普通、山を平らに歩けるのに3年位かかるのに、小田原の場合、林という感じで、本当にこれが山仕事と言えるのかと思う時もあります。

 集材には余程仲間の息が合わないと大事故の率が高い為、「命ホイド」の私はより安全な造林の方を専業としています。何しろ老いていく親を安心させて全うさせる仕事もありますから。

 百姓の長男でありながら、林業というものに興味どころかやりたくない仕事の代表だったのが、今それをやって幸せを感じるのは一体何なのか・・・。木から落ちた時、山の神が柔らかいボサの上にケ飛ばして助けてくれたからなのか、留守を預かる山の神に花束の代わりに札束を持って行くからなのか、オラには全くわがらね。(次号に続く)  注:ホイド-こじきの意

 

例会のお知らせ 9月22日(金)、13:30~16:30、旧あさひ旅館(加藤宅)で

暑かった夏を、なんとか乗り切った皆様! しばらくぶりに話合いましょう!

話題①2市合併問題:任意協議会から配られたパンフについて、②高齢化したメンバーでも出来る活動の相談